プロイセン軍は、約15万の兵力を動員し、ライン諸邦に分散するフランス軍の各個撃破を計画した。この時、
エルベ川流域でフランス軍を迎え撃ち、ロシアの援軍を待つという作戦も提示されたが、これは消極的に過ぎるとして却下された。しかし、攻勢を決定したにもかかわらず、プロイセン軍の動員は遅々として進まなかった。また、指揮権の所在が明確でないため、作戦計画はまとまらず、各軍の連携は不完全なものとなった。プロイセン軍の南下が開始されたのは、ようやく9月末のことだった。こうしたプロイセン軍の初動の遅れは、フランス軍に態勢を整える時間を与えることとなった。
宣戦布告を受け取ったナポレオンだったが、当初はプロイセン軍の動きを見守っていた。9月末、敵の目標が
マインツ方面への進撃と判断したナポレオンは、直ちに分散していた20万の兵力を
バンベルクに結集し、逆にプロイセン野戦軍を撃破する作戦を立てた。ナポレオンが立てた作戦は以下のようなものであった。まず、
モルティエの第8軍団をマインツに置いて、進撃してくるプロイセン軍の対処とし、後方連絡線を保持する。残りの全軍は、
テューリンゲン近郊に存在すると見られるプロイセン軍の側面に右翼から回りこむように機動し、戦略的包囲によって敵野戦軍を一挙に撃破しようというものだった。