エリモジョージ wikipedia|無料辞書
|産=出口留雄
|主=山本慎一
|績=44戦10勝
|金=2億6316万800円
-->
・ 馬齢については原則旧表記(数え歳)とする。
◆ 戦績
夏の
札幌記念(当時は
ダート重賞)に出走して敗れた後、えりも農場(馬主である山本慎一の所有する牧場で、現在のエクセルマネジメント)で休養に入った。ところがえりも農場の厩舎が原因不明の火災に巻き込まれてしまう。エリモジョージは救い出されたものの、事故の影響から長期休養となり、4歳のシーズンを終えた。
5歳シーズンのはじめに復帰し、
池添兼雄(現・
調教師)を騎手に迎えて4回出走した。勝つことはできなかったが、
サンケイ大阪杯と
鳴尾記念で連続して3着に入り、上向きの状態で騎手を福永に戻し、
天皇賞(春)に出走した。17頭立て12番人気という低評価であったが、福永は馬場状態の悪さ(不良馬場)を考慮して逃げ戦法を取り、
ロングホークの追撃を振り切って優勝した。
このレースの実況を担当した
関西テレビの
杉本清は、前述の火災による悲劇に絡め「
見てるか天国の仲間たち、俺はお前たちの分まで走ったぞ!勝ったのはエリモジョージです。何もないえりもに春を告げた」という
森進一の「
襟裳岬」の一節を引用した名実況を残している。
その後エリモジョージは宝塚記念で7着、短距離S(
カブラヤオーが優勝)6着・巴賞7着と3連敗した。60キロの斤量を背負った
函館記念では9頭立ての8番人気であったが、2:00:9のレコードタイムで勝利した。
京都大賞典では逃げきれず9着に敗れたが、次走の
京都記念(秋)では、61キロの斤量が不安視されたが、大逃げを打ち、当時の日本レコード2:25:8を記録する大楽勝を演じた。その後
クモハタ記念は4着に敗れ、2番人気に推された
有馬記念では直線で力尽きて
トウショウボーイの6着に終わった。
6歳になっても不安定な成績は変わらず、
金杯(西)で7頭立て1番人気で7着に敗れたのを皮切りに5連敗した。脚部不安で休養に入り、休養明けの
中京競馬場でのオープン競走を好位差しで制したが、続く
阪神大賞典では9着に敗れた。
7歳シーズンに入ると、初戦の
日本経済新春杯で4着に敗れた後、再び福永洋一が騎手に起用され、京都記念と
鳴尾記念を連勝した。続く宝塚記念では
グリーングラス・ホクトボーイらを相手に4馬身差で逃げ切って勝利し、福永に「競走馬として完成した」と言わしめた。しかし次走の
高松宮杯でしんがり負けを喫すると不振に陥り、ラストランとなった8歳時の宝塚記念まで1勝もできずに引退した。
◆ 引退後
引退後は種牡馬入りしたが、特に活躍した産駒を残せずに終わった。
◆ 競走成績
1974年(5戦2勝)
1975年(7戦1勝)
1976年(13戦3勝)
1977年(7戦1勝)
1978年(8戦3勝)
1979年(4戦0勝)
◆ 血統表