・ カール・ディタースの父はカール6世(在位:1711年 - 1740年)の下で宮廷劇場の衣装デザイナー(刺繍職人)としての地位を得ていた。息子カールの音楽への興味に対して身近な音楽家たちを教師に頼み、息子は期待通りの成長をした。更に、早くからヒルトブルクハウゼン公(1702-1787 神聖ローマ帝国の元帥で数々の戦果をあげ皇帝に優遇される)に見出され特別の教育を受けた。
・ 当時のウィーンでの最高の楽団はヒルトブルクハウゼン公(Prince Joseph Friedrich von Sachsen-Hildburghausen, 1702年 - 1787年)の楽団で、アウアースペルク邸(Palais Auersperg 現存)では劇場の休みである毎週金曜日の夜に、演奏が行われていた。
コントラバス奏者にとっては数少ない
コントラバスの為の協奏曲を自分のレパートリーに加える事が出来るので有り難い事であり、ディッタースドルフなる人物はもしや、コントラバス奏者だったかと誤解されるかもしれないが、実際はブルグ劇場で定期演奏会が開催されていたほどのヴァイオリン演奏の巨匠であった。当然ヴァイオリン協奏曲も多数作曲している。彼の作品は好評に迎えられ
1760年代初期には
ホフマン(Leopold Hoffmann, 1730年? - 1793年)や
ヨセフ・ハイドン(1732年 - 1809年)や
ヴァンハル(Johann Baptist Vanhall, 1739年 - 1813年)らと並んで
ウィーンでの楽壇の指導的な立場にあった(ハイドン、モーツァルト、ヴァンハルとは弦楽四重奏を組んだこともある)。声楽曲特に
オペラ、
オペレッタ、
ジングシュピールについてはウィーンばかりでなく広く大衆に普及した。晩年は殆ど見捨てられたようになり、出版社からは出版を断られ、自分の時代が去った事を自覚していた。死亡の年
1799年に自叙伝を書いた。