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「セントライト」||包茎master.com [05/22update]

セントライト wikipedia|無料辞書

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(岩手県雫石村)
|主 = 加藤雄策
|調 = 田中和一郎(東京)
|績 = 12戦9勝
|金 = 87,400円
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セントライトは、日本競走馬種牡馬1941年に活躍し、同年日本競馬史上初のクラシック三冠馬となった。1984年顕彰馬に選出。
兄弟は優秀で、タイホウ(繁殖名大鵬帝室御賞典目黒記念オールカマー)、クリヒカリ(別名アルバイト、横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)、帝室御賞典(秋))、トサミドリ(大種牡馬、皐月賞、菊花賞)等がいる。

◆ 戦績
1941年、横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)、東京優駿競走、京都農林省賞典4歳呼馬(現:菊花賞)を勝ち、日本の競走馬として初めてクラシック三冠馬となった。
重馬場を得意とし、重ハンデにも良く耐えた。また、東京優駿競走を勝利した時には4連闘目かつ8馬身差の圧勝だった(2008年現在も東京優駿最大着差)。まさに日本競馬創成期の名馬と言える。
その業績を称えて、菊花賞の関東のトライアルレースとして、1951年から「セントライト記念」を開催している(1964年ラジオ関東(現RFラジオ日本)から優勝杯が寄贈され「ラジオ日本賞」の冠が入った)。
三冠達成後、関係者は重ハンデを背負う事を嫌い天皇賞に挑戦することなく引退。生まれ故郷の小岩井農場に戻り種牡馬生活を送ることになる。当初はオーライト(平和賞・現在の天皇賞(春))、オーエンス(天皇賞(春))、セントオー(菊花賞)等の八大競走勝ち馬を輩出したものの、小岩井農場を経営していた小岩井農牧(株)が、GHQの命令によりサラブレッドの生産から撤退することになり、1949年にセントライトも岩手県畜産試験場に移ったが、繁殖牝馬の質が低下した事もあり種牡馬成績を落としてしまう。
1965年2月1日、老衰のため同試験場で死亡。立ったまま息を引き取ったと伝えられている。シンザンがセントライトに次ぐ史上二頭目の三冠馬となってから数ヶ月後の事だった。1984年顕彰馬に選出された。
東京優駿競走の決勝線上
京都農林省賞典4歳呼馬


◆ 競走成績