翌年
5月27日、ナタルマは鹿毛の牡馬を出産した。遅生まれの上に小柄だったが、テイラーはこの仔馬を高く評価し25,000ドルという高値で売り出した。当時のカナダでそんな高額な馬を購入する者がいるはずもなく、買い手が付かずに生産者であるテイラーは自身の持ち馬として走らせることになった。テイラーは、父ニアークティック(
新北区)、
母の父ネイティヴダンサー(先住民の踊り子)よりノーザンダンサーという名前をこの馬に付けた。ノーザンダンサーはデビューする頃になっても発育が悪く、体高は最高で15.2ハンド(約154.4
cm)にしかならなかった。
1963年、2歳になり、カナダ、フォートエリー競馬場のメイドン(未勝利戦)でデビュー戦をむかえ、初戦を7馬身差で飾ると、その後2ヶ月の間に5戦3勝2着1回と戦跡を重ねていく。そしてカナダ最大の2歳戦であるコロネーションフューチュリティを6馬身差で圧勝すると、続く3戦も圧勝しカナダ2歳チャンピオンに輝いた。この年9戦7勝。
1964年、3歳になりノーザンダンサー陣営は戦いの場をアメリカに移す。初戦の一般競走こそ3着に敗れたが、その後は連勝を重ね
フロリダダービー、
ブルーグラスステークスなどのプレップレースを制し、アメリカ国内でも有力馬となっていった。2番人気で迎えた本番
ケンタッキーダービーは、直線抜け出すと猛烈な勢いで追い込んでくる本命馬ヒルライズ(Hill Rise)をクビ差抑えて勝利、この時のタイム2分フラットは当時のレコードで、今でも
セクレタリアト(1分59秒2/5)と
モナーコス(1分59秒97)に次ぐ素晴らしいタイムである。続く
プリークネスステークスを余裕の走りで制し二冠達成。しかし、クラシック
三冠の懸かった
ベルモントステークスではクァドラングル(Quadrangle)の3着に敗れ三冠はならなかった。次走カナダのクラシック競走、
クイーンズプレート(カナダにおける
ダービーに相当)が引退レースとなり、ここは7馬身半で圧勝。この年カナダ年度代表馬、アメリカ最優秀3歳牡馬を受賞した。