1870年(明治3年)、
久美浜県(現・
京都府)の産物系吏生に就任。地方の官吏を経て
1880年(明治13年)10月、当時まだ大阪の小新聞でしかなかった
朝日新聞社へ入社する。翌年社主から一切の経営を任され、出資金総額三分の二を
村山龍平が、三分の一を上野理一が分担する事となる。この上野の朝日に対する出資は当初極秘にされ、しかも三井糸店当主である実兄豊田善右衛門が保証人となって資金を調達したといわれており
[朝日新聞社史編修室編『上野理一伝』朝日新聞社、1959年]、朝日新聞社が社史で認めている政府・三井銀行からの極秘の経営資金援助
[『朝日新聞社史 明治編』朝日新聞社、1995年 ISBN 9784022730268]と関係があるのではないかとする見方もある
[駄場裕司『大新聞社――その人脈・金脈の研究 日本のパワー・エリートの系譜』はまの出版、1996年 ISBN 9784893612069]。その後、村山と二人で朝日の経営を行った。息子は
上野精一。