帝室御賞典 wikipedia|無料辞書
◆ 概要
天皇下賜の賞品が授与される趣旨の競走の起源は
1880年に
横濱競馬場で行われた「
The Mikado's Vase」(天皇の花瓶賞または皇帝陛下御賞典)である。この競走の賞品は、競走名の通り
銀製の
花瓶であった。以後さまざまな名称で不定期に天皇下賜の賞品が授与される競走が行われるようになった。賞品は
陶磁器、銀製の花瓶、菓子鉢、酒器、花盛器などであった。
1896年、日本レース・クラブ(後の日本レース・倶楽部)が「
The Niicapu Stakes」(新冠景物)を施行したのを機に春と秋の年2回定期的に開催するようになった(
1897年は施行されなかったため、本格的には
1898年から)。
1905年、同競馬倶楽部に
明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」が下賜され、「
The Emperor's Cup」(皇帝陛下御賞盃)が施行された。今日で言う「帝室御賞典」の歴史はこのレースを起源としている(レース名が「帝室御賞典」になったのは
1906年秋から)。以降、東京競馬会(後の東京競馬倶楽部)、阪神競馬倶楽部にも明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」が下賜され(レースの施行は年2回)、福島競馬倶楽部、札幌競馬倶楽部、函館競馬倶楽部、小倉競馬倶楽部には洋杯が下賜された(レースの施行は年1回)。なお
1931年までは優勝馬の馬主に授与されたのは賞品のみであり、賞金は授与されなかった。
なお
1932年春の阪神競馬の帝室御賞典は
ラジオ放送され、これが大レースにおける日本初の競馬のラジオ中継となった(競馬のラジオ中継そのものは
1931年7月3日に札幌競馬場で中継されたのが初。ただし中継そのものは当時の
農林省畜産局の許可がまだ下りてなかったため、許可が下りてからの最初の中継は1932年春の阪神競馬の帝室御賞典が初めて)。
◆ 施行団体・競馬場・歴代優勝馬
◇ 競馬倶楽部時代
・日本レース・クラブ(1906年以降は日本レース・倶楽部。
横濱競馬場)
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|1901年
11月5日||1マイル||ゼ・コロネツト||牝7||1:54 1/5||モツツ||||
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1902年5月14日||1 1/2マイル||フジカワ||牝6||3:03.1||||||
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|1902年
11月18日||5ハロン||ツキガセ||牡3||1:11.0||後藤録三郎||||
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|1903年
11月10日||1 1/2マイル||ローズ・デ・フランス||牝5||2:54.8||柴田安治||||
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|1904年10月29日||1 1/2マイル||カチドキ||牝6||2:49 3/5||坪内元三郎||||グリーン
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※コース:芝
※イダホとアイダホは同一馬。
明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」が下賜される。